ファインディング・ニモ(吹き替え版)感想

昨日のあれが感想では本当にアレなんで。
この映画は見るのを迷ってる人は是非見たほうがいいと太鼓判を押せる作品でした。
まぁビデオでも良いでしょうが。
そんなわけで以降全部ネタバレです。ネタバレなので白字にしました。

まず映像がすごい。すごすぎてもはやそれをふつーのものとして受け止めてしまった。
そもそも水をCGで表現するのは難しいらしいですよ。
そんなことをマリオサンシャインのとき任天堂宮本茂氏が言ってた気がしますから。
でもまぁそれより何よりやはりストーリーでしょう。
泣いてしまいました。
まずさいしょに泣いて
そして泣いて
最後でまた泣いた。
オィラ、別に子供いないし語るほどのもんじゃない家庭環境で育ったのだけど
やっぱダメッすわ〜。あれはほんま泣きますわ〜。
親ゴコロにうったえかけるシーンにことごとく泣かされてしまいました。
予備知識ほとんどなしで見たからオープニングはよけいにキました。
だってマーリンにとってニモはただ一つ残ったものだったんですよ。
そりゃあ過保護になりますよ。ああなんかそういう魚物と魚物の関係とかうまく書けてました。
ただ、イソギンチャクは魚物じゃないのかただの家なのか。それは気になった。
あとイイ魚ばっか。というか悪い魚がいない。
いてもなんていうか言葉が通じないというかただの怪物だったり
はっきりとした悪役なしでハラハラドキドキ感を出せるというのが
この映画の本当に凄いところなのかもと思ってしまいました。
やっぱ今のアメリカってガキに見せるものは
バイオレンスがないかとかなり気を使ってるでしょうから。
だからなんか日本にはない。日本人が作ったら出てこないと思うような設定とか感覚があって
例えば障害魚ばっかだったのも一つのそれ。
まずニモ自体が片方のひれが小さくて。でもそれを幸運のひれと呼んでたり
ドリーは救いようがないくらい物覚えが悪い。あれは健忘症だ。
でも彼女自身は救いようがないけど彼女によって救われたりする。
水槽の中にいたツノダシのギルは体中傷だらけ
ヨスジリュウキュウスズメダイのデブはガラスに映る自分を妹だと思い込んでいる
とかまぁいろいろいたわけなのですがみんな普通に生活していて。
障害を持ってるというところだけにスポットを当てないでそこを一部分として
描くことでは日本はまだまだなようなそんな感じがして
でも一部分でありそれを苦として生きてないからキャラクターがたってるのであり
そういう擬人化されたキャラを見ると
逆に人間だったらどんな感じなのだろうと考えてしまったり
まずお父さんサカナのマーリンは芸人。
これはふつーにカクレクマノミだと自己紹介するたびに
面白い話をしてくれと振られてたから。
なんで面白い話をせがまれてたのか気になり帰ってググッてみると
カクレクマノミは英語で“Clown fish”直訳すると道化師魚だからそうです。
まぁ吹き替えのノリさんはいわずとしれた芸人だし
本家のアルバート・ブルックスはコメディ系の人らしいから
マーリンが芸人でもあってるんじゃないでしょうか。でもホントに芸人だったら売れないだろうな〜。
それで相棒のドリーは、オィラの中じゃなんか黒人ぽかった。
これは何より室井さんの声にそう感じました。ただ本家だと演じてるのは白人。
でもドリーのあのだれとでも仲良くなれそうな陽気な感じは黒人のおばちゃんって感じがします
マーリンとまったく違う色ってところにもそう感じました。
あとはまぁサメ三人組の魚と友達になろうプログラムはマフィアの麻薬更正プログラム
とか他もいろいろ妄想は膨らむのですが長くなるので。
ちょうど今泣きたくなることが多かったりするので思い返すたびに泣いてしまうんですけど
まぁ泣けなかった人もけっこういるでしょうが
でもまぁいい映画でした。
そういえばオーストラリアが舞台で人間に連れ去れて生き別れになった話と言えばいぬいとみこの「ぼくらはカンガルー」を思い出したのはオィラぐらいのものかなぁ

感想は以上です。本編前のニック・ナックにふれてないのはすっかり忘れちまったからなのです。